私たち人類はあまりに自己中心的すぎる。
まるで人類が全生命体の中心に居て、地球が中心で世界が回っているような解釈をするべきではない。
この変な声が、神や天罰などあり得ないのである。
もしもの話をする。
神がいた場合、 こうしたもので制裁があるのでは?と考えるかもしれない。
そうした場合、この世はあまりにも胸糞悪い世の中だろう。
人間には裏表がありすぎる。
腹の底ではロクなことを考えていない人間があまりに多すぎる。
本当にこれらが神であれば、とっくの昔にこの世は無くなっている。
私たちの歴史を考えてほしい。
江戸時代からそれ前の日本社会を考えてほしい。
切り捨てごめんの無法地帯である。
刀を振りかざし、気に入らなければ、すぐに殺される。もちろん、女性はあの時代はレイプされまくっているだろう。本当に胸糞悪い時代である。
人間などなんの価値もないと思われても仕方がないほど、ただの動物に近い存在であった。
人間は動物ではないことは、現代の法律が証明している。
法律のない、過去と現代では、天と地の差があることも知っているはずである。
アホな王族・貴族の私利私欲の世の中の中世と、立派な法律がある現代では、全く異なることを歴史を見れば一目瞭然である。
神は人間が創造したものであることも忘れるべきではない。
人間がこれを神と呼び、悪い人に天罰を望んでいたところで、それは人間中心の考え方であり、自分自身の手を汚すことなく、世直しして欲しいと願っているようなものであり、あまりにも勝手すぎる。
神など身勝手の良い、人間都合のものである。
悪に制裁を望むのであれば、自分自身で戦うべきであることを、誰もが知っているはずである。
そのための、ルールの制定した法律であり、罰するための刑罰である。
人間社会は人間社会で守っていくのが当然のことであり、そのための法律である。
私たちは私たち以外のこの幻聴をあまりに自己都合よく、あたかも私たち人間を守っている者や、私たちの社会を正してくれる何かであり、制裁するために存在すると思うことは、あまりに身勝手であり、自己中心的すぎる考えである。
人間は本当に愚かな生き物であり、これまでの人類の歴史を今一度、良く考えて生きていく必要がある。
人間以外の、何かわからない者たちを、人間都合で利用したり、望んだり、口出しをしたり、自己都合よく解釈してはいけない。
彼らは彼らであり、私たち人間は私たちなのである。
本当にこれから彼らとの共存を望んだ場合、私たちの目の前にとんでもない怪物が現れたりした場合、まず人間は生き残れないだろう。
もしも、私たちにそっくりな人間だった場合や、私たちよりも弱弱しいものだった場合、人間は暴力的であり、彼らのものを奪う可能性もあることを考えれば、そんなことが起こった時点で、圧倒的な技術力で人類は滅びる可能性もある。
本当に私たち人間は、自分自身のことを考えれば、とんでもない怪物であることを自らが自覚し、謙虚に生きるべきである。
人間は怪物であり、とんでもない生き物であることなど、この思考さえも読み取られるもので、バレバレである。
もしも神がいたとするならば、私たち人類はとっくの昔に滅んでいたに違いない。
神や制裁などというものは、まず期待せず、これまでに築き上げた法律を守り、正しく生きることをを自分自身が気づき、守って行かなければいけない。
法律を守らないものは、ただの猿同様の動物であることを自覚するべきであり、恥とするべきである。
本当に、試されているとすれば、外的なものではないく、自分自身であり、正すべきは自分自身である。
人間は愚かであるが、自覚できるものは自分を正すことができる可能性がある。
この声の人たちは依然、不明ではあるが、自分以外の何かであると考えるならば、おかしなことを言ったり、命令したり、望んでは行けない、また自己都合よく解釈するべきでもない。
彼らは、彼ら、私たちは私たちである。
私たちに「危ないことをしないで」と言うことは、自分自身を守る意味でも決して悪い事ではない。
私たちに「関わらないで」と言うことも同様である。
とにかく向こう側が何であるか?全く不明であるが、向こう側とこっち側が繋がれてもいい事がないとだけは、何度も何度も聞いた話である。
人間は本当に愚かであるが、ここまで生き残っている意味もあるとも考えることもできるが、それは外的なもので生かされている訳ではなく、自分たちの行っていたことを自らが反省し、築き上げた法律により、規律が守られて来たからであり、 決して天罰や神がこの世を正したり、制裁を下している訳ではないことを私たち人間の歴史を見れば一目瞭然である。
そしてこの声はそうした者たちではなく、彼らにそうした期待をして、危険な目に遭わせることもしては行けない。
私たちの文明は私たちが築き上げたルールで守っていく必要があり、そのルールが守れないようであれば、どんどんおかしな世の中になって行くだけである。
歴史を重んじて、ルールは簡単に捻じ曲げては行けない。
なんでも自己都合よく考えないことである。
神が制裁をするのでない。
法律を守らない悪に制裁を下すのは、刑罰であり、神ではない。
人間社会のルールは人間自身が守り、死守して行くべきである。
それが捻じ曲げられたとき、ちょっとした変化があるが、そのさじ加減で人類の歴史の舵は大きく方向性が変化する。
もしも、この声が知識の泉であると考えたものが居たとして、法律も彼らからのアドバイスだった場合の話をするならば、歴史を考えて制定されたものは安易に変えては行けない。
カエルと言うものに、何でもコロコロと変化させる、変えてしまう者たちのことを、カエルと言っていたこともある。
ブログのタイトルの「カエル」は変化させる人の意味もあることを、以前に聞いた気がする。
そしてカエルは、変化させ過ぎて、怒られた者たちであることも、聞こえた話である。
大きな変化は混乱を招き、おかしな世の中になってしまうことも意味しているのかもしれない。
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