2018年11月11日日曜日

彼らとの「関わらない、引き受けない、受け取らない」は彼らの作り出す仮想現実との関係

この世はマトリックスだ

彼らの作り出す仮想現実とは彼らのマトリクスだが、意味の分からない展開が多い。
そしてなぜか、私たちの現実とリンクさせて、私たちの責任で、こういう酷い世の中になったなどと言う、何故か意味不明な罪の擦り付けを行ってくるパターンもある。

また以前に、お前は俺やら、こいつは俺みないなことを言ってきたり、夫婦や家庭、恋人、家族にまでなってきたり、いろいろと自分の子供などとも言ってきたり、本当に意味の分からないことで私たちと関わらりのないことを、あたかも何か関係しているようなことを言ってくる。

そして、そうした彼らがとてつもなく変な人である場合が多い。

そんな彼らのマトリクスとは「関わらない、引き受けない、受け取らない」と言い続けなかければ、変なビームが我々の体に忍び寄り、次第に痛みへ変化したり、とんでもないビームが我々を襲うことになる。

明晰夢や飛んでもない妄想など、彼らとのかかわりは、まるで私たちの思考の一部となってやってくるが、彼らと我々は全く異なる種別であり、まず関わることはあり得ない。
そしてとても非常な種別や、とんでもない危ない種別までさまざまである。

私たち人間にもアフリカの文明とは程遠い者たちと、文明人とでは、あまりにも大きな差があるように、彼らは文明とは程遠い生き物であった場合、とんでもないことに巻き込まれる可能性があるが、なぜこのようなことをされているのか?は、また異なる種別がいたずらに関わっているからかもしれない。


とにかくどちらも危険生物には変わらず、何方ともに、「関わらない、引き受けない、受け取らない」としておかなければ、本当に危険な行為はエスカレートするばかりである。

エーリアンビームハラスメントと言い続けて来たが、本当にこのビームが私たちの生活にどれだけ影響を与えているかは、不明であるが、何やら実験のような状態が続いていた時期もあり、生活保護連中は皆この対象にされてとんでもない目に遭っていたり、中には真に受けてとんでもない事を仕出かし、事件になったり、この怪しいどこぞの何かも判らず、神や精霊や、守護霊など、ありもしないものや、良く知りもしないまま、良いものとして、いい加減な情報を流し続ける行為が後を絶たないが、本当に危険な目に遭ってから気が付いては遅いのである。

人間同様に多種多様でいろいろなタイプと性格あり


以前から聞いて居る内容はこの世と限りなくリンクさせて、未来予想のような行為を試みようとする流れがあるが、全く見当違いであり、またこの世の中との関わりがあるかのようなことを言っていた時期もあったが、本当に彼らのマトリクスがそういうものであるのであれば、100人いれば100通りの自分都合だけの、世界観があり、本当に都合の良い世界が構成されることを意味する。

もしも、タイムマシーンのようなもので、未来がコントロールされているとするなら、100人100通りである。そんなバカげたことなどあり得ないことである。
そしてそのような行為を頻繁に繰り返しているとするなら、決して失敗しない、とてつもなく自分には素晴らしい世界を構築することも可能であるが、そんなこと不可能であり、またそうした行為を誰かが邪魔をしない訳でもない。マトリクスとは、ゲームの中の世界観のようなバーチャル的なものであり、マインクラフトと同じようなものであるなら、ゲームを一生懸命努力しても何も得られないのと同じで、ゲームに付き合う行為は無駄そのものであり、それにより危険な思いをするなら、このような危ない遊びや、危険なビームに早く気が付くべきである。


本当にビームは私たちに似せた世界観をリンクさせるような行為をしてきたとき、危険度が高まる。私たちは彼らの遊び道具にされてしまう前に、彼らから離れる術を身につけなければならない。

 「関わらない、引き受けない、受け取らない」彼らの意味の分からない仮想現実を真に受けて、行動したり、言いなりになったところで、ロクなことが無い。
一時、試しにいろいろと行動をしたこともあったが、全く馬鹿らしいことばかりであった。 その後、危ないビームが強まり、痛みに変わったり、頭の中がもの凄い騒ぎとノイズが襲ってきたこともあったが、本当に馬鹿らしいことばかりで、何度も警察に行き、何度も相談しに行ったが、結局は病院へ行けと言われることばかりであった。

心のクリニックでも、幻聴と言われるが、これは実際に起こった人にしか分からないが、本当に危ないことであるのはこの危険なビームの餌食になってからである。

再び変なビームが強まることもあり、そうした時には 「関わらない、引き受けない、受け取らない」と連呼するしか術はない。

どうやってもこのビームから逃げる術はない。
 「関わらない、引き受けない、受け取らない」
 「関わらない、引き受けない、受け取らない」
と何度も何度も言い続ければ去っていくなら、そう言い続けれる他に術はないのである。

本当に危ないのはビームがとんでもないパワーを持っていることであり、私たちは意図も簡単にこのビームにより悪戯されてしまうことである。

生き地獄もあれば、このビームが私たちの何であるは、知るすべはない。
とにかく危ないものであることは知っている。
とんでもない結果ばかりであることも知っている。

些細なことで使われるとととんでもないものであることも知っている。
とてつもない大きなパワーであり、私たちにはとてもではなく神々しいものである。
しかし、私たちはそうしたものに関わることの危険性を訴え続けなければ、本当に壮絶な世の中ばかり見せられたこと、そして全知全能ではない、不完全なものをコントロールすることなど不可能であると言う、現実。

とんでもないことばかりであった。
「関わらない、引き受けない、受け取らない」
 危険なものであるには変わりない。









2018年7月26日木曜日

人間同様に多種多様でいろいろなタイプと性格あり

人間は皆同じではない。変な輩もいれば、終止おとなしい人もおり、様々です。

テレパシーの向こう側も同じで、いろいろなタイプと様々な性格の人たちが大勢おり、はじめのころは揶揄われてばかりいました。

悪戯好きや、遊びに来た人、本当に多くの、テレパシーの向こう側の声がしますが、終止、変なことに関わることを辞めて、関わらないと連呼するようにしたのは、そうした変なテレパシーの声の者たちの言いなりとなり、よくわからない者たちを神と崇めたり、仲間や友達と思い始めると、危険が伴う恐れがあるためであることは、現実社会で考えれば、当たり前のことである。

よくわからない者たちと仲良くや、通りすがりの人を友人と思う訳もなく、何もわからないものを簡単に信頼することなど現実社会ではあり得ないのであれば、このテレパシーの向こう側の声が、何であるか?わからないのであれば、簡単に受け入れることをするべきではないはずである。

私が、このような行為を続けているのは、やはり危険そのものであり、やがては自分の身を滅ぼし、危険をもたらされたときに、こうしたものを、どうすることもできない 、コントロールなど絶対不可能であると知ってからでは遅いことを意味している。

本当に危険な行為をする人たちもたくさん存在し、そうした者たちには、「危ないことには関われない。」と訴え続ける他に、自分の身を守る手段は無いのである。

この世の私の魂があと僅かであれ、今後、これにより苦しめられることが永遠に続くことを考えれば、本当に地獄と言うものが存在し、私たちは昔から多くのことを知り、昔ら語り継がれている歴史や宗教の教えと言うものを考えれば、ただ真っ当に、真面目に生き、本能を極力最小限として、煩悩を抑えることを真面目に取り組むべきである課題である。

私がこのままこうした行為を一生続ける意味も、またあるのかもしれない。
多くの人が私のブログを読み、このような不思議なものを正しく認識して、自分の生き方を変えて、本能のまま愚かに生きることを辞めるならば、宗教的なものと同じ、人としての在り方を新しい視点ではあるが、まっとうに真面目に生きようとする人が増えれば、それはそれで意味があるのかもしれない。

本当に、ばれないければ何をしても良いなどと、愚かなことを考えるのは、今すぐにでも改める必要がある。
昔から「お天道様はお見通し」や「閻魔帳」と言うことを私たちは、皆知っているように、私たちのすべての行いは、全て管理されていることも知る必要がある。

私たちは監視されているのか?ということだが、そうかもしれない。そうでなければ、このテレパシーの向こう側のものも管理される必要があり、更に上にあるものも管理されていなければ、全てはうまく機能しないとするなら、監視、管理されているのが、知的生命体としての社会、法律、秩序と言うものであるなら、ごく当たり前のことであることも簡単なことである。

野良犬やサバンナの動物と一緒であれば、管理される必要もないだろうw
しかし、私たちは文明社会に生きているのであれば、管理されているのはごく当たりであり、年金や、社会保障を受けるためには、すでに私たちは文明に管理されて生きているのであれば、普通のことである。


 お天道様はお見通しである。閻魔帳は存在してる。私たちの記憶と言うものは残されていたり、私たちの行いは全て、見られていることは、明確な事実であることである。

こうしたことを知ったうえで、どう生きるか。真面目に考える必要がある。






2018年6月30日土曜日

人類の歴史とお供え物

最近、食べものを残したり、食べ忘れることが多々あります。

昔は、冷蔵庫は空っぽになっていましたが、それでも緊急時、災害時の非常食として、お徳用チョコレートは常備していました。
その習慣はいまでも続けていますが、最近、物忘れが激しく、特に食べ物を食べ忘れることが多々あります。パンや弁当などなど

しかし、そんなものが彼らに必要なのでしょうか?
いつも疑問に思うことがありますが、しかし、人類の歴史を振り返れば、お供え物という習慣があり、食べ物が捧げられているという事実があります。

そして私の実家にはお仏壇があり、ばーちゃんは、いつも山盛りのご飯を仏壇にあげるのが日課になっていました。

そういうご家庭が昔は当たり前だったのですが、最近はどうなんだろうと思いますが、私のところにいるこの幻聴の人たちもご飯が必要なのか?不思議ですが、最近は本当に物忘れが激しく、こうしたことが多々あります。

もしも、本当にそのような習慣が必要であれば仕方がないので、定期的にお供え物的なものをしていこうか、悩んでいますが、 本当に困ったものです。

とりあえず、最近はお菓子の量を増やしたり、食べないものを捨てたりと、大量に捨てられているのですが、貧乏なので、それほどゆとりはなく、どうせならお金持ちの家に行って欲しいものですが、本当に困ったものです。

たまにお寺さんの側を通るとまんじゅう食ってくるといっていなくなる時も多々あります。
本当によくわかりませんが、これは何なのでしょうか?
本当に謎ですが、人類は全員で、こうした不思議なものにお供えをしたほうが良いのかもしれません。とにかく昔の家庭はどこへ言ってもそうした風習があったと思いますが、最近はそういうものがないので、みんなお腹を空かしているとのでしょうか?

本当にわからないのですが、人類の歴史を考えれば、何故か、お供え物というものがあるのは、なんなのだろうか?不思議ですが、しかし、山へ行けば美味しい山菜や果物がたくさん実り、田舎へ行けば捨てるほど、野菜がそこかしこに栽培されています。そうしたものを食べていたほうが、よっぽどうまいと思うのですが、何故か、加工品を欲しがるのは何なのか?本当によくわかりません。
 
また、毎日コンビニやスーパーで大量に捨てられているはずで、そうした食べ物も大量にあるはずです。とにかく、神棚があるなら、必ず新鮮な食べ物をお供えものとして上げるほうが良いのかもしれません。

ご家庭では、冷蔵庫が神棚となっているので、あれば食べずに、お供え物として残しているものがあれば、それらはもしかしたら彼らが必要としているのかもしれません。

本当に謎ですが、どうやらお供え物として食べ物を欲しがっていることは間違えないようです。
歴史を考えるなら、お供え物は食べ物であり、本当に多くの間、そうしたものに食べ物を捧げてきた歴史はあります。

2018年6月9日土曜日

危険なことに関わらないこと、真面目に生きること、人として成長すること。

長い間、関わらないと言い続けてきた。
その意は、危ないこと、危険な行為などなど、変なことに関わらないこと、引き受けないこと、受け取らないことで、自分の身を守れることである。

危険な行為に関わらないの次につながる言葉は、やはり真面目に生きること。
因果応報を考えるなら、その見返りを求めてはいけないにせよ、きっと良いことに繋がるのである。

真面目に生きることは、決して損ではない。

真面目に生きた次に繋がる言葉は、人として成長を意味しています。
もしも、輪廻があるとすれば、人として次の成長も意味しているのかもしれません。

私たちは、人間として、あまりに個人差があるのは、そうした積み重ねなのかもしれません。

もしも、人間として成長していければ、次の成長はとても飛躍的に良い結果につながるのかもしれない。

私たちは、現生を真面目に生き、人として成長をしていくことで、また来世で、成長し続ければ、きっといい結果につながっていくはずである。

私は、そう考えています。
既に、私たちはこうしたことを、教えて貰っていたのです。すでに宗教と言うものの教えでは、当たり前のように、私たちに教えを説いていたことであり、当たり前のことなのですが、こうしたことを信じる人も信じない人もなかなか、来世があると言われても、全く信じることはできないのも事実で、欲望に負けて生きる人も出てくるのですが、性格と言うものが個々にあるように、私は昔からこうした、地獄や真面目に生きることの意を考え続けて来た方ですが、もしかしたら、こうしたものも導きの一つなのかもしれませんが、人として成長することを私自身も望んでいることではあります。

そして、私たちはこうしたテレパシーを通じて、様々な不思議な体験をして、来世と言うものも満更嘘ではないことを知っていくことを考えれば、この先も、危険行為に関わることなく、引き受けることなく、何も受け取らず、真面目に、人として成長を続けていくことが、来世へとつながらることを意味しているのであれば、積極的に私たちは人として成長を続ける必要があります。

私自身、完璧な人間ではなく、それは聖人君子のようには生きてきてもおらず、幼少期から現在に至る、いまでもすべての行いが真面目であるとも言い切れないのですが、人と言うものは性格や個性はどんな人でもあるように、私は大きく道を外さないように人として生きているのですが、やはり道を誤ってしまった人も中には居るはずです。

そうした人も未来の自分を築いているのは、現在の自分であることを忘れてはいけないともあり、どんどん悪い方向行へ進めば、どんどん深みにはまっていくことも意味しています。

こうしたテレパシーの私利私欲な利用は決して自分には、プラスになるとは思えないのは、危ないことの連続であったことを知っているからであり、本当にこの分からないビームは私たちを苦しめるものにも変貌することを知る必要があるのです。

人として成長することは、ビームを利用しなくても、真面目に生きることで、簡単に成し遂げることができるのです。それはお金や、裕福さとは次元が異なる、私たちそのものの個性、性格、知性などなど、様々な教えがあるように、こうしたことは様々な宗教の教えにあるように、人として成長を続けることは、私たちの未来をきっと明るいものにしてくれることを意味しているのです。


危険なことに関わらない、真面目に生きること、人として成長すること。そして更に言えば、尊敬される人になることだが、高望みする必要はなし。




2018年4月28日土曜日

もしも宇宙人による侵略戦争なるものがあったとするならあなたはたちはどうするか?

宇宙人が私たち地球人と戦争をすることが起こった場合、あなたならどうするか?

このテレパシーの向こう側の正体すら分からない者たちとどう向き合うか?

私の教えてもらった答えは、危ないことには、関わらない、何も引き受けない、何も受け取らないです。

これだけですが、関わらないことで互いは不快にもならず、互いの存続が継続することができるとするならば、とても簡単なことです。

私は人間であり、人間のことは良く分かります。
人間であることはとても野蛮で、狂暴であることを自覚しています。
歴史を知れば、その凶悪性はとてつもなく非道であり、恐らく自分勝手で自分さえよければそれで良い。そんな人がほとんどであるのは明確です。

本当に、危ないことは接触から始まるとするならば、関わらないことの重要性は計り知れない。

私は神でも無ければ、救世主でもない。
しかし、向こう側から私に救いを求めてくる、そして感謝されることがある。
そして、メッセンジャーとしてのボランティアとしての任務のようなことさえも教え込まれた時期もある。そして未来人のようなとても紳士的な口調で語り掛けてきた者たち、そして時には攻撃的に痛みを与えてくる者たち、何者かは分からないが、互いの運命は共同体のように不幸になれば、お互いが不幸になり、幸福に向かえば、互いは救われるとも聞いた。

メッセンジャーや語り部、ボランティア行為のこうした役割は本当であれば、それすら関わりたくないことだが、私たちはすでに互いの交信を何度となく行ったうえで、それらの安全で最適な選択をするべき答えを得たはずである。

関わらないこと、引き受けないこと、受け取らないこと。

宇宙人との接触が危険であることは、知っており、私自身人間の感情というものは常に揺れ動き、些細なことで揺らぐことを重々自覚している。

そんな野蛮人が互いのプライドと誇りを犠牲にするはずもなく、お互いは何方ともに朽ち果てるまで争いを辞めることはないだろう。

そんな絵空事とあったとして、私の書いていることが、全て架空の妄想ごととしても、あなたならどういう答えを出すだろうか?

そんなことも考えてみて、自分なりに答えを得たなら、それでも良いが、それにより巻き込まれるのは、本当にいい迷惑である。

仲良くする?ともに共存を模索する?何か互いに協力する?互いを利用する?一方的に従わせる?彼らの言いなりになる?彼らに背き、全てを逆を行う?

人の価値観はそれぞれであり、いろいろな答えを持つことがあるだろう。

しかし、私自身は、テレパシーの向こう側とは、関わりたくない。何も引き受けない、何も受け取れないし、受け取りたくない。

互いが関わらなければ、世界はたったそれだけで平和になれることもあると思う。

嫌な奴は五万と存在しており、そんな連中と関わるだけ、面倒ごとが増えるだけである。

戦争が起きれば、ごみのように消し去れるほどのテクノロジーを持つものでも、それを簡単に使えば、チリ一つ残らない、人類は居なくなったとも聞いた話である。

 本当に、感謝される行為があるとすれば、何も関わらないことで、互いは不快にもならずに平和に、穏やかさを保てるのであれば、それは関わらないことが一番である。

しかし、一人で生きている訳ではない、常にテレパシーの向こう側とつながっている状態が続いているなら、どうすればいいのか?

関わらないの一点張りでは、済まされない、私自身の私生活もある。
本当に、困難を極めるが、私からは彼らに何も関わらない、ごく普通に生活を送り、特に何を請求することもなく、引き受けることもない、指示することもなく、指示されることもない、とにかく私は私の日常の生活を続けるだけであり、関わらないし、引き受けないし、何も要求したり、受け取ることもないように、していくしかない。

自分のためでもある。それが向こう側の人のためでもあるなら、それはとても良いことなんではないだろうか?

本当にしんどいだけだが、リアルに戦争が起きれば、それどころではない。
私たちリアルに生きているものが、苦しむのは目に見えて明確である。
世界戦争は些細なことで起こりえる。そして彼らと関われば、ろくなことが無い。
本当に、危険なことは、私たちの思考は全て筒抜けであり、ろくなことを考えなければ、ろくなことにならない。因果応報、良くも悪くもすべては自分に降りかかると考えた方がよいだろう。


2018年4月17日火曜日

この世はマトリックスだ。

今住んでいる世界がマトリクスではありません。
現実です。

ではマトリクスとは何なのか?
それは私たちの未来なのかもしれません。
そして私たちは永遠の命を手に入れたとするならば、そこは現実の社会ではなく、マトリクスなのかもしれません。

そしてマトリクスにもたくさんの世界観があることでしょう。
天国や地獄、そして電子刑務所と言うものもあることでしょう。

マトリクスの世界は何であれ、私たちの未来なのか?もっと別の星の話なのかもしれません。

しかし、私たちはすでに多くのことを知っており、情報を得ており、またこの世での生活を規律正しく生きようと努力して誠意いっぱい一生懸命に生きています。

それは皆、教養と道徳からであり、決して本能では生きてはいません。

裏の顔と表の顔があっても、決して裏の顔では生きてはいないのです。
そこにはやはり何もわからなければ何をしてもいいと思って生きている人と誠意いっぱい人間として正しく生きようとする者の差が出るわけですが、人は10人10色と言うように様々な価値観で生きています。

私たちの未来が無くなると困るのは誰なのか?
そしてそうした危険な行為が起こった時、私たちはどうなるのか?

よく考えなくても誰もが理解するはずです。

私たちは、危険な行為をしない。危険な行為とかかわらない。危険な行為を引き受けるない。
本当に危ないのは、私たちの知らないところでも沢山起こっており、実に多くの犠牲があったとしても、最後に何も残らない、全てが破壊されてしまう行為があったとするならば、そうした危険な行為を行うものに制裁が下ることは容易に想像がつくは話であり、私たちがこうしたビームの危険な行為に関わっていくならば、制裁があるとすれば、ビームにより見返りが来るのは当たり前の話である。


私が一時的にもの凄いビームの餌食になっていた時期があったが、そうした時期はビームに翻弄されていた時期があり、全て自分の行為とは別に操り人形のようにビームの言われるままに行動していた時期が数か月あった時期がある。主に睡眠時、横になっている時に言われるままに土下座したり、立ち上がったり、どこそこへ向かえと言う指示に従っていたりもしていた時期もある。

そうした指示に従って行為することそのものが、人間ではない状態になっており、制裁を受けた原因でもあると思う。本当に危ないビームが私を苦しめたのはそのころである。

その後、危ないことに関わらないようにとの助言から、常にテレパシーの向こう側には関わらないと繰り返し言い続けてきたことで、現在ではそれほど煩い音は聞こえなくなったが、それでもまだまだ危険な痛みを感じるビームが時折、存在しており、私たちは常に監視されていることも理解している。

とにかく未来や向こう側の危険があれば、私たちそのものも危険なことを意味しており、私たちが彼らの導きにより、平和を手に入れているとするならば、彼らが平和に生きていける世の中を、今度は私たちが協力してほしいとのことも聞いたことがあり、共に生きている理由はそうした危険な世の中があってはならない。

未来に危険が起こることは現在の私たちも関係している。
簡単に例えるならば、現在今の私たちの生活は、過去の自分の行いによるものであり、当たり前のことを言っているだけの話であり、今後の未来の自分の生活は、今現在の私たちの行動によってすべてが決まるものである。

当たり前のことですが、私たちが地獄へ行くのも、天国へ導かれるのも、自分次第と言う訳です。

本当に死後と言うものを信じるも信じないも自分次第ですが、私のような幻聴が聞こえる人や、寝ていながら映像を見ている夢を見る人そうした不思議なものを誰しもが経験して、こうした情報を得て、たわ言と考えるか、自分の今後の生き方を考えるか、すべては自分が決めることであり、私はこの場でこうした情報を提供したところで、自分の生活をどう決めるかは、自分次第なのです。

しかし、地獄や天国、因果応報、それらの多くの不思議な単語や意味を誰もが知っており、この世にそうした不思議な言い伝えや存在を知らない人はいないし、多くの情報を得て、生きている訳であり、今更考えるも何も、無いのですが、興味があるのであれば、自分の経験からではなく、歴史を学び、様々な宗教の教えを考え見たり、調べてみるのもこのことと直結してることです。

歴史を考えるならば、本当に私たちは昔からこうしたこと多くの情報を得て、現在の平和を手に入れているのです。




2018年3月29日木曜日

死後の世界

やはり死んでから地獄に落ちる者、天国に行ける人。

そんな話は昔から言い聞かされて生きていた訳で、誰一人否定しません。
私たちは無意識にこういう不思議なテレパシーで知っているのかもしれません。
気が付いていない人も気が付いて居ても、本能に生きてしまう者も、死んでからの世界があることを、子供のころから、ずっと聞かされて生きてきたはずです。

年を取れば取るほど、因果応報も身に染みるほどよく分かります。

死んでから私たちは別の次元に行きますが、その時に地獄へ行くもの天国に向かう人が分かれる。
私は生きているうちに何故か、知ってしまったのですが、何故だか、分かりません。

テレパシーができる人とできない人がいます。
とは言え、テレパシーの向こう側の人が何者であるか?は分かりません。
しかし、子供のころから彼らと話しているような記憶がある人は気が付いてないだけで、何度も話しているのです。

彼らとの会話は、自分には妄想のような時間かもしれません。
夢をよく見る人は彼らと接触しています。

本当に気が付かないのですが、生きている内からそんなことを知る人は少ないのですが、私は知っているのです。死後に、地獄と言う場所があり、天国と言う場所があることを。

生きているうちは真面目に生きるべきです。自分が不快に思うことを相手にするべきではありません。

本当に死んだ後に困るのは自分自身です。

私たちは、何度も何度も聞かされており、気が付いて居る人が多いはずです。
死んだ後に私たちがどうなるか?

考えただけで、幸せになる人、ゾッとする人。
罪を重ねれば、それだけ苦しみは増すことでしょう。
本当に恐ろしい試練と、想像を絶する苦しみを味わうことになるのです。

私が知っている地獄は輪廻と言うものでも体験することになるのかもしれません。
砂漠を永遠歩く動物や虫たち。

本当に私たちは死んでからも世界があることは、このテレパシーが存在することを知っている人たちがよく知っていることです。

本当に生きているうちに私腹を肥やし、他人を不幸にする行為をしたものには、やはり因果応報と言う言葉があるように、全ては自分自身に返ってくるでしょう。

生きているうちだけが人生と思ったら大間違いです。
生きている時間など逆に数十年足らずで、その人の残りの膨大な時間を苦しみに変わると考えた方が良いとも聞きます。

たったの数十年で自分のすべての人生を無駄にするのは、生きていてもよくある話。
真面目に生きるべきです。