宇宙人が私たち地球人と戦争をすることが起こった場合、あなたならどうするか?
このテレパシーの向こう側の正体すら分からない者たちとどう向き合うか?
私の教えてもらった答えは、危ないことには、関わらない、何も引き受けない、何も受け取らないです。
これだけですが、関わらないことで互いは不快にもならず、互いの存続が継続することができるとするならば、とても簡単なことです。
私は人間であり、人間のことは良く分かります。
人間であることはとても野蛮で、狂暴であることを自覚しています。
歴史を知れば、その凶悪性はとてつもなく非道であり、恐らく自分勝手で自分さえよければそれで良い。そんな人がほとんどであるのは明確です。
本当に、危ないことは接触から始まるとするならば、関わらないことの重要性は計り知れない。
私は神でも無ければ、救世主でもない。
しかし、向こう側から私に救いを求めてくる、そして感謝されることがある。
そして、メッセンジャーとしてのボランティアとしての任務のようなことさえも教え込まれた時期もある。そして未来人のようなとても紳士的な口調で語り掛けてきた者たち、そして時には攻撃的に痛みを与えてくる者たち、何者かは分からないが、互いの運命は共同体のように不幸になれば、お互いが不幸になり、幸福に向かえば、互いは救われるとも聞いた。
メッセンジャーや語り部、ボランティア行為のこうした役割は本当であれば、それすら関わりたくないことだが、私たちはすでに互いの交信を何度となく行ったうえで、それらの安全で最適な選択をするべき答えを得たはずである。
関わらないこと、引き受けないこと、受け取らないこと。
宇宙人との接触が危険であることは、知っており、私自身人間の感情というものは常に揺れ動き、些細なことで揺らぐことを重々自覚している。
そんな野蛮人が互いのプライドと誇りを犠牲にするはずもなく、お互いは何方ともに朽ち果てるまで争いを辞めることはないだろう。
そんな絵空事とあったとして、私の書いていることが、全て架空の妄想ごととしても、あなたならどういう答えを出すだろうか?
そんなことも考えてみて、自分なりに答えを得たなら、それでも良いが、それにより巻き込まれるのは、本当にいい迷惑である。
仲良くする?ともに共存を模索する?何か互いに協力する?互いを利用する?一方的に従わせる?彼らの言いなりになる?彼らに背き、全てを逆を行う?
人の価値観はそれぞれであり、いろいろな答えを持つことがあるだろう。
しかし、私自身は、テレパシーの向こう側とは、関わりたくない。何も引き受けない、何も受け取れないし、受け取りたくない。
互いが関わらなければ、世界はたったそれだけで平和になれることもあると思う。
嫌な奴は五万と存在しており、そんな連中と関わるだけ、面倒ごとが増えるだけである。
戦争が起きれば、ごみのように消し去れるほどのテクノロジーを持つものでも、それを簡単に使えば、チリ一つ残らない、人類は居なくなったとも聞いた話である。
本当に、感謝される行為があるとすれば、何も関わらないことで、互いは不快にもならずに平和に、穏やかさを保てるのであれば、それは関わらないことが一番である。
しかし、一人で生きている訳ではない、常にテレパシーの向こう側とつながっている状態が続いているなら、どうすればいいのか?
関わらないの一点張りでは、済まされない、私自身の私生活もある。
本当に、困難を極めるが、私からは彼らに何も関わらない、ごく普通に生活を送り、特に何を請求することもなく、引き受けることもない、指示することもなく、指示されることもない、とにかく私は私の日常の生活を続けるだけであり、関わらないし、引き受けないし、何も要求したり、受け取ることもないように、していくしかない。
自分のためでもある。それが向こう側の人のためでもあるなら、それはとても良いことなんではないだろうか?
本当にしんどいだけだが、リアルに戦争が起きれば、それどころではない。
私たちリアルに生きているものが、苦しむのは目に見えて明確である。
世界戦争は些細なことで起こりえる。そして彼らと関われば、ろくなことが無い。
本当に、危険なことは、私たちの思考は全て筒抜けであり、ろくなことを考えなければ、ろくなことにならない。因果応報、良くも悪くもすべては自分に降りかかると考えた方がよいだろう。
2018年4月28日土曜日
2018年4月17日火曜日
この世はマトリックスだ。
今住んでいる世界がマトリクスではありません。
現実です。
ではマトリクスとは何なのか?
それは私たちの未来なのかもしれません。
そして私たちは永遠の命を手に入れたとするならば、そこは現実の社会ではなく、マトリクスなのかもしれません。
そしてマトリクスにもたくさんの世界観があることでしょう。
天国や地獄、そして電子刑務所と言うものもあることでしょう。
マトリクスの世界は何であれ、私たちの未来なのか?もっと別の星の話なのかもしれません。
しかし、私たちはすでに多くのことを知っており、情報を得ており、またこの世での生活を規律正しく生きようと努力して誠意いっぱい一生懸命に生きています。
それは皆、教養と道徳からであり、決して本能では生きてはいません。
裏の顔と表の顔があっても、決して裏の顔では生きてはいないのです。
そこにはやはり何もわからなければ何をしてもいいと思って生きている人と誠意いっぱい人間として正しく生きようとする者の差が出るわけですが、人は10人10色と言うように様々な価値観で生きています。
私たちの未来が無くなると困るのは誰なのか?
そしてそうした危険な行為が起こった時、私たちはどうなるのか?
よく考えなくても誰もが理解するはずです。
私たちは、危険な行為をしない。危険な行為とかかわらない。危険な行為を引き受けるない。
本当に危ないのは、私たちの知らないところでも沢山起こっており、実に多くの犠牲があったとしても、最後に何も残らない、全てが破壊されてしまう行為があったとするならば、そうした危険な行為を行うものに制裁が下ることは容易に想像がつくは話であり、私たちがこうしたビームの危険な行為に関わっていくならば、制裁があるとすれば、ビームにより見返りが来るのは当たり前の話である。
私が一時的にもの凄いビームの餌食になっていた時期があったが、そうした時期はビームに翻弄されていた時期があり、全て自分の行為とは別に操り人形のようにビームの言われるままに行動していた時期が数か月あった時期がある。主に睡眠時、横になっている時に言われるままに土下座したり、立ち上がったり、どこそこへ向かえと言う指示に従っていたりもしていた時期もある。
そうした指示に従って行為することそのものが、人間ではない状態になっており、制裁を受けた原因でもあると思う。本当に危ないビームが私を苦しめたのはそのころである。
その後、危ないことに関わらないようにとの助言から、常にテレパシーの向こう側には関わらないと繰り返し言い続けてきたことで、現在ではそれほど煩い音は聞こえなくなったが、それでもまだまだ危険な痛みを感じるビームが時折、存在しており、私たちは常に監視されていることも理解している。
とにかく未来や向こう側の危険があれば、私たちそのものも危険なことを意味しており、私たちが彼らの導きにより、平和を手に入れているとするならば、彼らが平和に生きていける世の中を、今度は私たちが協力してほしいとのことも聞いたことがあり、共に生きている理由はそうした危険な世の中があってはならない。
未来に危険が起こることは現在の私たちも関係している。
簡単に例えるならば、現在今の私たちの生活は、過去の自分の行いによるものであり、当たり前のことを言っているだけの話であり、今後の未来の自分の生活は、今現在の私たちの行動によってすべてが決まるものである。
当たり前のことですが、私たちが地獄へ行くのも、天国へ導かれるのも、自分次第と言う訳です。
本当に死後と言うものを信じるも信じないも自分次第ですが、私のような幻聴が聞こえる人や、寝ていながら映像を見ている夢を見る人そうした不思議なものを誰しもが経験して、こうした情報を得て、たわ言と考えるか、自分の今後の生き方を考えるか、すべては自分が決めることであり、私はこの場でこうした情報を提供したところで、自分の生活をどう決めるかは、自分次第なのです。
しかし、地獄や天国、因果応報、それらの多くの不思議な単語や意味を誰もが知っており、この世にそうした不思議な言い伝えや存在を知らない人はいないし、多くの情報を得て、生きている訳であり、今更考えるも何も、無いのですが、興味があるのであれば、自分の経験からではなく、歴史を学び、様々な宗教の教えを考え見たり、調べてみるのもこのことと直結してることです。
歴史を考えるならば、本当に私たちは昔からこうしたこと多くの情報を得て、現在の平和を手に入れているのです。
現実です。
ではマトリクスとは何なのか?
それは私たちの未来なのかもしれません。
そして私たちは永遠の命を手に入れたとするならば、そこは現実の社会ではなく、マトリクスなのかもしれません。
そしてマトリクスにもたくさんの世界観があることでしょう。
天国や地獄、そして電子刑務所と言うものもあることでしょう。
マトリクスの世界は何であれ、私たちの未来なのか?もっと別の星の話なのかもしれません。
しかし、私たちはすでに多くのことを知っており、情報を得ており、またこの世での生活を規律正しく生きようと努力して誠意いっぱい一生懸命に生きています。
それは皆、教養と道徳からであり、決して本能では生きてはいません。
裏の顔と表の顔があっても、決して裏の顔では生きてはいないのです。
そこにはやはり何もわからなければ何をしてもいいと思って生きている人と誠意いっぱい人間として正しく生きようとする者の差が出るわけですが、人は10人10色と言うように様々な価値観で生きています。
私たちの未来が無くなると困るのは誰なのか?
そしてそうした危険な行為が起こった時、私たちはどうなるのか?
よく考えなくても誰もが理解するはずです。
私たちは、危険な行為をしない。危険な行為とかかわらない。危険な行為を引き受けるない。
本当に危ないのは、私たちの知らないところでも沢山起こっており、実に多くの犠牲があったとしても、最後に何も残らない、全てが破壊されてしまう行為があったとするならば、そうした危険な行為を行うものに制裁が下ることは容易に想像がつくは話であり、私たちがこうしたビームの危険な行為に関わっていくならば、制裁があるとすれば、ビームにより見返りが来るのは当たり前の話である。
私が一時的にもの凄いビームの餌食になっていた時期があったが、そうした時期はビームに翻弄されていた時期があり、全て自分の行為とは別に操り人形のようにビームの言われるままに行動していた時期が数か月あった時期がある。主に睡眠時、横になっている時に言われるままに土下座したり、立ち上がったり、どこそこへ向かえと言う指示に従っていたりもしていた時期もある。
そうした指示に従って行為することそのものが、人間ではない状態になっており、制裁を受けた原因でもあると思う。本当に危ないビームが私を苦しめたのはそのころである。
その後、危ないことに関わらないようにとの助言から、常にテレパシーの向こう側には関わらないと繰り返し言い続けてきたことで、現在ではそれほど煩い音は聞こえなくなったが、それでもまだまだ危険な痛みを感じるビームが時折、存在しており、私たちは常に監視されていることも理解している。
とにかく未来や向こう側の危険があれば、私たちそのものも危険なことを意味しており、私たちが彼らの導きにより、平和を手に入れているとするならば、彼らが平和に生きていける世の中を、今度は私たちが協力してほしいとのことも聞いたことがあり、共に生きている理由はそうした危険な世の中があってはならない。
未来に危険が起こることは現在の私たちも関係している。
簡単に例えるならば、現在今の私たちの生活は、過去の自分の行いによるものであり、当たり前のことを言っているだけの話であり、今後の未来の自分の生活は、今現在の私たちの行動によってすべてが決まるものである。
当たり前のことですが、私たちが地獄へ行くのも、天国へ導かれるのも、自分次第と言う訳です。
本当に死後と言うものを信じるも信じないも自分次第ですが、私のような幻聴が聞こえる人や、寝ていながら映像を見ている夢を見る人そうした不思議なものを誰しもが経験して、こうした情報を得て、たわ言と考えるか、自分の今後の生き方を考えるか、すべては自分が決めることであり、私はこの場でこうした情報を提供したところで、自分の生活をどう決めるかは、自分次第なのです。
しかし、地獄や天国、因果応報、それらの多くの不思議な単語や意味を誰もが知っており、この世にそうした不思議な言い伝えや存在を知らない人はいないし、多くの情報を得て、生きている訳であり、今更考えるも何も、無いのですが、興味があるのであれば、自分の経験からではなく、歴史を学び、様々な宗教の教えを考え見たり、調べてみるのもこのことと直結してることです。
歴史を考えるならば、本当に私たちは昔からこうしたこと多くの情報を得て、現在の平和を手に入れているのです。
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