長い間、関わらないと言い続けてきた。
その意は、危ないこと、危険な行為などなど、変なことに関わらないこと、引き受けないこと、受け取らないことで、自分の身を守れることである。
危険な行為に関わらないの次につながる言葉は、やはり真面目に生きること。
因果応報を考えるなら、その見返りを求めてはいけないにせよ、きっと良いことに繋がるのである。
真面目に生きることは、決して損ではない。
真面目に生きた次に繋がる言葉は、人として成長を意味しています。
もしも、輪廻があるとすれば、人として次の成長も意味しているのかもしれません。
私たちは、人間として、あまりに個人差があるのは、そうした積み重ねなのかもしれません。
もしも、人間として成長していければ、次の成長はとても飛躍的に良い結果につながるのかもしれない。
私たちは、現生を真面目に生き、人として成長をしていくことで、また来世で、成長し続ければ、きっといい結果につながっていくはずである。
私は、そう考えています。
既に、私たちはこうしたことを、教えて貰っていたのです。すでに宗教と言うものの教えでは、当たり前のように、私たちに教えを説いていたことであり、当たり前のことなのですが、こうしたことを信じる人も信じない人もなかなか、来世があると言われても、全く信じることはできないのも事実で、欲望に負けて生きる人も出てくるのですが、性格と言うものが個々にあるように、私は昔からこうした、地獄や真面目に生きることの意を考え続けて来た方ですが、もしかしたら、こうしたものも導きの一つなのかもしれませんが、人として成長することを私自身も望んでいることではあります。
そして、私たちはこうしたテレパシーを通じて、様々な不思議な体験をして、来世と言うものも満更嘘ではないことを知っていくことを考えれば、この先も、危険行為に関わることなく、引き受けることなく、何も受け取らず、真面目に、人として成長を続けていくことが、来世へとつながらることを意味しているのであれば、積極的に私たちは人として成長を続ける必要があります。
私自身、完璧な人間ではなく、それは聖人君子のようには生きてきてもおらず、幼少期から現在に至る、いまでもすべての行いが真面目であるとも言い切れないのですが、人と言うものは性格や個性はどんな人でもあるように、私は大きく道を外さないように人として生きているのですが、やはり道を誤ってしまった人も中には居るはずです。
そうした人も未来の自分を築いているのは、現在の自分であることを忘れてはいけないともあり、どんどん悪い方向行へ進めば、どんどん深みにはまっていくことも意味しています。
こうしたテレパシーの私利私欲な利用は決して自分には、プラスになるとは思えないのは、危ないことの連続であったことを知っているからであり、本当にこの分からないビームは私たちを苦しめるものにも変貌することを知る必要があるのです。
人として成長することは、ビームを利用しなくても、真面目に生きることで、簡単に成し遂げることができるのです。それはお金や、裕福さとは次元が異なる、私たちそのものの個性、性格、知性などなど、様々な教えがあるように、こうしたことは様々な宗教の教えにあるように、人として成長を続けることは、私たちの未来をきっと明るいものにしてくれることを意味しているのです。
危険なことに関わらない、真面目に生きること、人として成長すること。そして更に言えば、尊敬される人になることだが、高望みする必要はなし。
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