人間は皆同じではない。変な輩もいれば、終止おとなしい人もおり、様々です。
テレパシーの向こう側も同じで、いろいろなタイプと様々な性格の人たちが大勢おり、はじめのころは揶揄われてばかりいました。
悪戯好きや、遊びに来た人、本当に多くの、テレパシーの向こう側の声がしますが、終止、変なことに関わることを辞めて、関わらないと連呼するようにしたのは、そうした変なテレパシーの声の者たちの言いなりとなり、よくわからない者たちを神と崇めたり、仲間や友達と思い始めると、危険が伴う恐れがあるためであることは、現実社会で考えれば、当たり前のことである。
よくわからない者たちと仲良くや、通りすがりの人を友人と思う訳もなく、何もわからないものを簡単に信頼することなど現実社会ではあり得ないのであれば、このテレパシーの向こう側の声が、何であるか?わからないのであれば、簡単に受け入れることをするべきではないはずである。
私が、このような行為を続けているのは、やはり危険そのものであり、やがては自分の身を滅ぼし、危険をもたらされたときに、こうしたものを、どうすることもできない 、コントロールなど絶対不可能であると知ってからでは遅いことを意味している。
本当に危険な行為をする人たちもたくさん存在し、そうした者たちには、「危ないことには関われない。」と訴え続ける他に、自分の身を守る手段は無いのである。
この世の私の魂があと僅かであれ、今後、これにより苦しめられることが永遠に続くことを考えれば、本当に地獄と言うものが存在し、私たちは昔から多くのことを知り、昔ら語り継がれている歴史や宗教の教えと言うものを考えれば、ただ真っ当に、真面目に生き、本能を極力最小限として、煩悩を抑えることを真面目に取り組むべきである課題である。
私がこのままこうした行為を一生続ける意味も、またあるのかもしれない。
多くの人が私のブログを読み、このような不思議なものを正しく認識して、自分の生き方を変えて、本能のまま愚かに生きることを辞めるならば、宗教的なものと同じ、人としての在り方を新しい視点ではあるが、まっとうに真面目に生きようとする人が増えれば、それはそれで意味があるのかもしれない。
本当に、ばれないければ何をしても良いなどと、愚かなことを考えるのは、今すぐにでも改める必要がある。
昔から「お天道様はお見通し」や「閻魔帳」と言うことを私たちは、皆知っているように、私たちのすべての行いは、全て管理されていることも知る必要がある。
私たちは監視されているのか?ということだが、そうかもしれない。そうでなければ、このテレパシーの向こう側のものも管理される必要があり、更に上にあるものも管理されていなければ、全てはうまく機能しないとするなら、監視、管理されているのが、知的生命体としての社会、法律、秩序と言うものであるなら、ごく当たり前のことであることも簡単なことである。
野良犬やサバンナの動物と一緒であれば、管理される必要もないだろうw
しかし、私たちは文明社会に生きているのであれば、管理されているのはごく当たりであり、年金や、社会保障を受けるためには、すでに私たちは文明に管理されて生きているのであれば、普通のことである。
お天道様はお見通しである。閻魔帳は存在してる。私たちの記憶と言うものは残されていたり、私たちの行いは全て、見られていることは、明確な事実であることである。
こうしたことを知ったうえで、どう生きるか。真面目に考える必要がある。
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