2017年8月26日土曜日

この不思議な現象についてどう説明するか?本当のことを言っても信じない人が多いだろう。

私は、本当に不思議な体験を今でもしている。

人間は、この地球にある物質だけを、すべての価値と考える傾向にあり、目に見えないものや、理解できないものは、何も無いものと考えがちである。

私たちの思考や能力というものは、実は私たちのものではないことに気がついている人はこの地球上で何人いるだろうか。

そしてこの地球上に私たち以外の物質以外の人たちが、私たちと接する機会があることをいったいに何人の人が気がついているのだろうか。

ここに書かれている内容を理解する人は、いったい何人いるだろうか。

私たちが構築して来たと思い込んでいる、この社会は、実は私たち以外の何か、わからないものが関係していることに気がついている人間は、何人いるだろうか。


私たちは、もしかしたら一瞬で何も無くすかも知れない。
そして私たちの価値観と言うものが、この世にある物質的なものだけであると思い込んでいる人がいるのであれば、とてつもなく危険なことを意味している。

私たちは私たち以外の何らかのものが存在しており、そうした者たち以外の力が関わっていることに気がついていない人や、絶対的な物質以外を信じないもの、私たちには理解できないものは、何も理解しようとしない者たちが、絶対的な価値を人間中心社会に勝手に決め、自分の能力と思い込む者たちにより、この社会が形成されているならば、それは、とても危ない行為であるいうことに、気がついていない人たちにより、この社会はとてつもない、誤りであることさえ、気がつかないまま、私たちは偽りと絶対的なものを信じることを意味する。


簡単に説明すると。

物質社会だけにすべての価値を信じる人がいる。
すべてはこの世の目に見えるものだけが絶対の価値である。

私たちの価値観と言うものは、物質だけである。

そんな人たちが、何も知らずに、すべての価値観を物質だけを信じて生きているとするなら、危険極まりないことであることさえ、気がついていない。

物質的なもの以外に信じることができない人が、物質的なものにより支配されていると信じていることの危険性。

そんな世間知らずの人たちが、自分たち人間以外に知的生命体はいないと思い込み、すべての言葉や、すべての価値観は、人間が創造して、人間が構築して来たと思い込み、人間以外には、何も創造しない、人間以外は知的生命体ではない、人間がすべてこの世の絶対的な価値であると信じている人がとても危険極まりないことを意味している。


ここに書かれていることを理解できる人はどのくらいいるだろうか。
私たちはこんなネットワーク上のブログで、この文章を目にしたところで、何一つ危機感も感じずに、何も知らずにこれからも、この社会を続けていくだろう。

しかし、私たち以外の者たちが、この世に存在していること。
そして価値観と言うものは、この世の中の物質だけではないと言うことに気がついて、いつ何時、簡単に狂わされてしまう可能性があることに早く、気がつくべきである。

とにかく、私たちは自分たちの能力をまずは、絶対的なものではないことに気がつくべきである。

そして危険な行為をしないことである。
むやみに人を疑い、人を傷つける行為をするべきではない。
人間だけが私たちの社会であると信じ込むことは大変危険である。

私たちは頭の良さだけを絶対的価値観に置いていることそのものも、大変な危険性を訴えてきたように、本当にちょっとしたことで私たちの価値と言うものは狂い始めるのである。

私たち人間は、何も気がついていない人に、かなり注意する必要がある。

そうした人たちの特徴として、絶対的な価値観を知識に寄せている人たちは、かなり危ない。狂っていても、すべては頭が良いというだけの、狂った価値観だけで、物質的な価値観をすべて簡単に手に入れることができることを意味している。

お金をすべてのものの価値としている社会では、本当に危ない行為により、お金を手に入れようとする輩が大勢存在し、とんでもない社会を形成している。


私たちは本当に後悔するのは、こうした不思議なものの存在を知った時に、これまで知らないことを知ったときに、絶対的な価値観を物質社会だけを信じて生きている人たちが、私たちの思考や知恵、知識でのみ、構築して来た物質社会は、私たちの力でないことに気が付いてからであり、すべてを失い、すべてを失ってから、私たちは知的生命ではないことを知る。


私はジャングルのサルの鳴き声を聴かされて揶揄されているような様子、サルの惑星のような状態になっていく様子も夢で何度か、見ている。

本当に、サルの惑星のような状態に戻っていくとしたら、私たちはすべてを失う可能性があることを意味する。
すべてを失うことを防ぐとするならば、私たちはとにかく危険な行為をしないことである。


すべてを失うとはどういうことか。

このブログが消えてしまうとするならば、ここに書き溜められたすべてを一瞬ですべてを簡単に失うことを意味する。
それはこの社会を失うこともとてつもなく簡単であることも意味している。

絶対的な物質の維持をこのブログとするならば、ブログを維持するためには、知識と知的行為が必要不可欠である。

私たちが知識と知恵を失ってから、全てを失う。
しかし、その知恵と知識というものは、私たちの力ではない、目に見えない何かが関係してしているならば、私たちはただの能無しである。

ただのサルと言う訳であるが、能無しの話も何度も聴いた話であるが、本当に何もかも失う恐れがあるのは、危険な行為が行われてからであれば、サルに戻らないためには、サル同様に本能だけで生きる行為を慎むことであり、私たちは知的活動を続けていくならば、そうした情報の共有を大切にして、共に助け合い、共に歩んでいるということを、私たち人間社会の構築を大切にするように、いつも通りの生活を規則正しく、まじめに学び、一生懸命に生きていれば、継続できるはずである。

本当に危ない行為が起こると、本当に危ない社会が構築され、危ない社会はサル同様の本能のまま生きる野蛮で、ただのサルの惑星になり、その瞬間に私たちはサルの惑星に戻っていくのであれば、野蛮な行為を辞め、また知識だけを大切にするのではなく、知識や知恵は共有化と助け合いが必要不可欠である。



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