こんな危ない行為、面倒ごとに加担し、ビームの標的にされるよりも、自らは何も加担しないことが唯一の安全である。
そんな簡単なことの意で「受け取らない、引き受けない、関わらない」この言葉を何度も聞いたのである。
この言葉は、汎用的であり、まずは私たち側ではなく、元々は向こう側へのメッセージでもあったが、私たち側にも関わらないことへの意があるとすれば、「受け取らない」の代わりに、「真に受けない」などの言葉も伝言で聞いたことを覚えている。
もちろん、この「真に受けない」の意は向こう側の言いなりになり、変な行動をしない意であり、神の声を聴いた犯罪者にならないようにへの呼びかけであった。
ではなぜ、このような行為を行わなければいけないのか?という疑問があると思う。
既に、ずっと以前からこのような危険なビームが飛び交っているのであれば、それらを防ごうと幾ら、策を生じても、突如現れ、消えていく、亜空間を飛び越えて来るこのような摩訶不思議なものに対策などなく、無駄である。
自らが危険行為に加担した行く行為は、ビームに標的にされる格好の餌食である。
では、この加担行為とは何か?
私たちの思考そのものである。
それ以上はなく、日ごろの行い、思想、日常、素行、行動、その他諸々であるのかもしれない。
憶測ではあるが、昔の人は良く言ったことで、閻魔帳、地獄、極楽浄土、輪廻、因果応報、呪い、復讐などなど、それらとも関係なくもないのかもしれない。
この不思議なビームの存在に対して、これは何?という疑問に、そんな会話が永遠に続いていた。
とにかく、危ないことに加担しないことが、この変なビームから解放される唯一無二の方法である。
数か月から数年しばらく続くが「引き受けられない、受け取れない、関わらない」、「危ない事を辞めてください」と連呼し続ける行為の成果は出ている。
このような危ないビームから解放を願うのであれば、自らが危険分子であることをアピールする行為、言動を避けるべきである。
そして、このようなものがなんであるか?
問うのであれば、人類が歩んできた中でいくつも語り続けられている、過去の摩訶不思議な現象、言い伝えなどの歴史書を読むのが一番近道なのかもしれない。先人たちが残した記録を考えるならば、本当に宗教的なものや、自らの行いを悔い改め、真っ当に生きていくことをしなければ、生き地獄になることは間違いないのである。
本当のことを知る者は、この恐ろしさを体験したものでなければ、理解できない。
私はその恐ろしさをごく僅かしか知らない。
私は地獄の3丁目だそうで、湯加減は程よいくらいと何度も、揶揄われて笑い話で、聞いた話である。
このビームが火炎地獄の熱源にもなり得り、とんでもない黒焦げにされてしまった若者も居たり、火傷を負った子供や溶けてしまった者の映像を見たり、本当に危ないビームが飛び交っているとも聞いたことがあり、「変に清い者」もそれらの犠牲にもなっていることも聞いたことであるならば、それら危ない行為をまるで、自らが裁きを下しているような、危険行為に加担しているようなことも、また、とばっちりを受けるのも自分自身であることも警告があったのである。
とにかく危ない行為に加担しない、自らが危険分子でないこととして、伝達、伝言を正しく行っていけば、徐々に周囲も危険が無くなっていくはずである。
本当に、これらを知る者と知らない者では、人間としての思考が本当に分かれるが、人間そのものが、本当にこのテレパシーやビームによりコントロールされている可能性も考えることもできる。
本当に人間とはなんであるか?
私自身、本当に人間とは、謎であるとしかわからない。
そしてこれらのビームの正体は、何も知らない者同士、宇宙人やUMAとなぜか、ビームにより、テレパシーで結ばれてしまった感がある。
私たちの思考にインプットされてくる言葉、テレパシーのようなこのような言葉には意味があり、私たち自身への注意喚起である可能性がある。
私たちはこの言葉をまるで、自分自身の考えたことと勘違い、錯覚を起こすが、これらの言葉は明らかに外的な外からのインプットされた言葉であり、それらの言葉の意は、まず自分自身への警告と受け止めるべきである。
なぜか、そうした批判的な言葉を他人にぶつけるような行為をするおかしな現象を時々、 体験している。
他人を批判している輩は、時に、自分のことを言っているのでは?と感じてしまうことが多々あり、やはり私たち人間は、何かしらの警告とメッセージを受け取っている可能性がある。
そして、それらのインプットされたメッセージは、決して他人批判ではなく、自分自身を悔い改めるべき言葉であり、自身を悔い改めるべきである。
人を批判するのではなく、自身を正す必要がある。
そう教えてもらっていると、メッセージを受けている。
私たちは、他人を批判するよりも、自分自身を自己修正に心がけるべきである。
そんなわからない者同士が、いろいろと考えて妄想を膨らませて、無駄話をいくら重ねても、時間の無駄であり、なんの解決もなんの答えも得ることができないのが、自らの経験である。わからない者同士、数年間憶測だけで、無駄なことを考えても答えなど得ることは一生ないのである。
「永遠に解けない数学問題」と同じであるとも聞いた話である。
「色即是空」とも聞いた話である。
本当に無駄な時間を過ごすよりも、自らが危険分子でないことを訴え、解放される方法があるならば、それらを正しく、向こう側にも伝達することが、これらの危ないビームから逃れる方法であることは、私の実体験から言えることであり、現在は、それらからかなり解放され、回復に向かっている。
とはいえ、恐らくこれらの行為は死ぬまで続くかもしれない。
終わりが見えない現実ではある。
危ないビームが突如現れることが多々ある。
本当に危ない行為は辞めて欲しいと言い続けていく他に、最善の策はない。
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