2016年12月6日火曜日

科学、技術が人体に向けられた時の恐怖

人体に向けられる物理転送技術一つを例に上げて、考えてみて欲しい。

本当に危険なことばかりであることが、小学生でも理解できるはずである。

多くは語らなくても考えてみて欲しい。

どう考えても防ぎようのない事ばかりである。

そんなことを得意げになって行おうとする科学は、人類を滅亡に向かわせるだけであることも容易に理解できるはずである。


私たちはそんな小学生レベルの倫理やルールすら守れない人ばかりが、こうした危険な科学や技術を、生命体に向けられ、利用されている行為に脅威を感じている。

未来のエレクトリックハラスメントは壮絶極まりない、危険行為である。

そうした科学や知的な危険行為をよく考えずに、危険行為であることを自覚しないまま、そうした危ないことをあたかも得意げになり、作っていく。

私たちの未来が無くなるとすれば、それは科学や技術が原因であることは間違いない。

こうした行き過ぎた危険な科学、技術、学問の行為を禁止して、自制、自粛するのも知的行為である。

かつて、大量破壊兵器や、化学兵器の危険技術を正しく認識して自粛してきたように、危ない行為は本当に辞めて欲しい。



これが始まったころからずっと「猿の惑星」のような明晰夢をよく見る。

以前にも書いた、ギターを持つ手長サル、丘の上に立つクマのような者、オオカミのような犬、ギズモのような者などなど、猿、犬、クマ(ネコ科?)、カエル、蛇、蝙蝠、鳥、海洋生物などなど祖先があるのであれば、違う惑星人はこうした者たちかもしれない。 


猿の惑星は何故、猿の惑星になってしまったのだろうか?

これらの脳への直接的なアクセスと、こうした行為が、猿にも適応されてしまったら、どうなるのだろうか?
私たちはこうしたことに関わっていく事、こうした向こう側への誹謗中傷、脅し、脅迫、こうした行為に対する勝手な解釈による利用、このようなことが続けば、私たち人間と言う存在そのものが、実はロボット人間から猿の惑星のよう猿との逆転に発展していく心配。

私たち人間は、進化を急ぐあまりに、猿以下になってしまう可能性。

こうしたテレパシー行為を悪用した結果、猿の惑星のような結末になる警告かもしれない。
あまりに急ぐ進化は、退化の始まりともあり、進化は私たち人間だけの力ではない、こうしたテレパシーの向こう側の知恵があるとするならば、こうしたものを悪用したり、利用しようとした瞬間に、猿とのチェンジと言う結果を招く恐れも考慮するべきである。

私たちの文明はわずか100年でここまで来たには、何らかのカラクリがあるに違いないにせよ、それらにあまりにも深く関わる事は、私たちの文明が失うことを意味するのかもしれない。
2000年以降の人類滅亡のシナリオや予言書が数多く残されているように、注意する必要がある。

こんなことを聞いたことがある。
とある天才の脳には数式が次々湯水のように入って来ると。

そうした行為が、自らの能力と過信するか、こうしたテレパシーで何故か、勝手に意味も解らずに互いが結ばれてしまった結果であるとするならば、こうしたテレパシーが猿にも適応されてしまったら、どうなるのだろうか?と言う心配と人間とサルの逆転を描いた映画「猿の惑星」はまさにこうしたテレパシーが人間ではなく、猿にシフトしてしまった場合の危険性など様々な恐ろしい結末があることを心配するべきである。

これらの行為は、ハイリスクであることを考えるのであれば、こうした行為の利用や悪用を自ら行うべきではないとある。

こうした不思議なものがあるのは昔から知られたことであるが、私たちからは積極的に関わることなく、いつも通りの生活に戻っていくチャンスがあるのであれば、私たち側から関わらないことであり、向こう側にも迷惑行為をするべきではない。

向こう側とこちら側が互いにストレスや苦痛が伴うことがあっては行けない。

私たちは関わらない、そして向こう側も関わらないことが、互いに精神的に穏やかであるのであれば、こうした行為に関わらないことである。

昔の人はこうした行為があることを知っていたはずである。

互いが安心、安全に暮らすには、安全が第一であり、危険な行為がないように祈るばかりである。


向こう側に危ない事をしないように訴え続けるのは、こうした行為が誤った方向に向かい、危険行為が続けば、本当に、とんでもない世の中になることが誰でもわかることである。

本当に安全第一、危ない事は辞めて、危険行為の無いこと、そしてこうした行為に関わる事をしない、こちら側から何も要求することないようにする、こうした行為を悪用しないことである。

人間は欲深い生き物である、神棚にお願いしたり、神社仏閣でお願いすることが多いが、そうした行為は昔からの習わしや風習であるのであれば、そうした行為とこうした能力は別であると認識して、勝手なお願いごとを、こうしたもので自らコントロールして使いこなそうとしたり、自ら向こう側に要求したりしないことである。

また、向こう側の言いなりになるような行為、行動も辞めるべきであり、本当に危険な行為であることを認識するべきであり、向こう側が何であるか?また向こう側は複数多数であり、決して一定の者ではないこと、そして、時間帯により変わっていたり、こうした行為により、自らの精神が蝕まれることを考えるならば、本当に関わらないことがどれほど楽なことかを考えるべきである。


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