2017年1月30日月曜日

「何も引き受けな、何も関わらない、何も受け取らない」の真意

もしも、私たちがこれにより知恵を授かっていたとしても、私たちは今後、こうしたものにより、知恵を授かることを辞めてい行く必要性がある。


極論、例え私たち人類が、猿に戻ってしまう恐れがあったとしても、こうしたものに知識を得て、知的生命体と名乗っているのであれば、私たちはただの器にしか過ぎず、ただのロボットと何ら変わらないものである。

そして、そうしたロボット人間が何時しか、こうした危ない行為を続けて、いつ何時、狂いだす時を恐れて、脅えて、恐怖のまま知的生命体を続けている必要性があるとは、到底考えにくいことである。


知識や知恵をこうしたもので、賄うとする姑息な手段そのものが、知恵を授かれる方法であることであるとは到底考え難い。

こうしたもので、知恵を授かれるとするならば、逆に知恵を授かる反対も容易に可能であることも考えておかなければならない。自らの努力を無駄にし兼ねない行為であること、すべてを失うことすら容易であることを恐れ、無になることすら覚悟をする必要がある。


私たちはこうした危険なギャンブルをしてまで、知的生命体として存続する意味があるのだろうか?

知的生命体としてこうした行為を続けていたいと考えている者と、こうした危険なものに頼らず、危ない行為を避けて生きたいと考える者にセパレートされるとするならば、私はこうした危険な行為を避けて、知性よりも安全を優先したいと考えている。


本当にこうした行為に何かしらの恩恵を得られると考えている者には、私からは何も否定はしないし、辞めろとも強要は決してしない。

私自身に、関わって欲しくはないだけある。
本当に危険な行為をして欲しくない。

頭が良くなるとか、知恵が授かれるとか、メリットばかりではなく、デメリットとリスクを考えた結果の話である。

私は本当に恐ろしい体験をした一人であり、その実体験から私自身の答えでもあり、こうしたもので例え知識が得られたとしても、私自身は何も受け取りたくない。私自身は何も引き受けたくない。私自身は何も関わりたくないのである。


本当にこうしたものに関わりたくない。

以前にも書いたことだが、もしもこの行為がタイムマシーンや歴史的出来事に、関与に関わっているとしたならば、こうした行為によりとんでもない事に巻き込まれているとするならば、私自身はこうした危険な行為に関わらないことの意思表示をしておく必要がある。
関わる事で、とんでもない事になることは、身を持って経験したものとして、これは実に危険であり、こうしたもののビームの餌食となり、生き地獄そのものを味わう破目になることも警告の意味でとんでもない生き地獄そのものを経験した。

生き地獄の具体的な内容はエレクトリックハラスメントのカンファレンスサイトに書いてある通りである。
未知との遭遇により、突如現れて、消えてしまうエーリアンビームの餌食になりたくないのであれな、関わらないことである。

本当に恐怖し、驚き、逃げ惑い、やっとの思いでここまで静かになり、痛みも無くなった。
防ぎようがないこのビームとは本当に関わりたくない。

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